『季節のない街』について。ネタばれあり。

『季節のない街』について。タばれあり

 

のzの「ええ、今回もね、前回と同様、触覚目太郎君と一緒に雑談をしていきたいと思います」

のzの

目太郎「どうも目太郎です。今日はなんの話をするのかね?」

触覚目太郎

のzの「この間ディズニープラスで宮藤官九郎の『季節の無い街』を観たんだよ」

目太郎「ふむふむ」

のzの「ちょっと待てお前」

目太郎「何?」

のzの「お前今『ふむふむ』って言ったよな?」

目太郎「言った」

のzの「『ふむふむ』なんて普段普通に会話していて使うか?」

目太郎「う~ん…使わないかな」

のzの「だよな。俺も滅多に使わん。使わんのになんで使った?」

目太郎「何となく人の話を聴いて納得している風みたいな」

のzの「そこなんだよ」

目太郎「うん」

のzの「で、このドラマっていうのがな」

目太郎「ちょ待てや!」

のzの「なんだ?」

目太郎「今お前俺に疑問を投げ掛けたよな?その上でお前そこから話を広げるでも無くほったらかしたよな!?」

のzの「いやそこから話広げてもそんなに面白く無いかなと思って」

目太郎「じゃあ最初からスルーしろや!」

のzの「それでな、このドラマ、メチャクチャ面白かったんだけどさ」

目太郎「面白かった。っていうか一緒に観たからな」

のzの「そうだよ。一緒に観たじゃん」

目太郎「観た。すげぇ面白かった。久々に配信のドラマで面白かったよ」

のzの「でもな、これ実は映像化は初じゃないんだよ」

目太郎「え?そうなの?」

のzの「それから原作もあるんだよ。同名の小説。山本周五郎

目太郎「そうだったのか」

のzの「黒澤明の映画『どですかでん』も同じ原作。まあつまりは『どですかでん』のリメイクってことになるのかな」

目太郎「え?じゃあ元の話はかなり昔ってことなのか」

のzの「そうだよ」

目太郎「知らなかったなぁ。『どですかでん』だったのか」

のzの「それでな。俺今まで『どですかでん』って、名前は知ってたんだけど観たこと無かったからさ。アマプラとかで観れないかと思って探してみたんだけど、有料のレンタルでしか無かったんだよね」

目太郎「うん」

のzの「300円なんだけどさ。まあ観たこと無かったしこの機会に観ても良いかなという気持ちになってね。観たんだよ」

目太郎「うん。どうだった?」

のzの「まあその…ウ~ンなんというか、悪くはないんだけど、俺としてはクドカン版よりはイマイチだったかなと思ってね」

目太郎「なるほどな。映画の尺でやるとどうしても1人1人のキャラクターとか背景の掘り下げが足らないかも知れないな」

のzの「やっぱりね、ああいう1人1人のキャラクターに次々とスポットを当てて行くストーリーの場合はさ、ドラマの方が良いかなという気がしたね」

目太郎「そうかもね」

のzの「あとね、そのクドカン版には無いエピソードがね、あったのよ」

目太郎「へぇ〜。そうなんだ」

のzの「うん。逆にクドカン版にはあるけど黒澤版には無いエピソードもあった。だからね、ついでに原作も読んでみようと思ってね。青空文庫で読んでみた(『季節のない街』青空文庫)

目太郎「へぇ。珍しいね本を読むなんてさ」

のzの「最近読んでなかったからね。たまには良いかと思ってね」

目太郎「そういえばお前ずっと読んでたな〜」

のzの「そうしばらくね。お前とも話さずに閉じこもって読んでたのよ」

目太郎「話すも何も、俺はお前が作り出したイマジナリーフレンドだから、お前が認識しなけりゃ存在出来ないわけでね」

のzの「イマジナリーフレンドって、それじゃまるで俺がガキみたいじゃねえか!」

目太郎「精神的にはガキだろうが!自覚しろや!」

のzの「何をこの野郎!お前なんか消えてしまえ!」

目太郎「ギャアー!!」

のzの「そんで、この山本周五郎の原作なんだけどさ」

目太郎「置いてけぼりかよ!?」

のzの「クドカン版にも無いし黒澤版にも無いエピソードがいくつかあるのよ」

目太郎「へぇーそんなんあるんか」

のzの「話として読むには面白いんだけど、ちょっと映像化し難いだろうなぁってのがあるねー」

目太郎「例えば」

のzの「まぁ俺が好きなのは、セックスの最中に嫁さんが急に変なこと言い始めて夫が萎えちゃう話だね」

目太郎「変なことって?」

のzの「秋になると葉が落ちるのはなんでだろう?とか、人間の歯はなんで出来てるんだろう?とか、100円札や千円札があるのに150円札とか1,500円札が無いのはなんでだろ?みたいなことを急に訊いてくるんだよ」

目太郎「セックスの最中にか?」

のzの「最中にだ」

目太郎「それは嫌だろうな旦那の方は」

のzの「そう、だから面白いのよ。それ以外にも、七福神の大黒、布袋、寿老人、弁天、恵比寿、毘沙門天ときて、あと誰だっけ?と訊いてくるとか」

目太郎「ああそう言えばお前この前、七福神のこと俺に聞いて来たよな?」

のzの「そう、俺も読んでる途中で思い出せなくて気になってさ」

目太郎「そんでネットで調べてたじゃん、ワザワザ」

のzの「そうよ。福禄寿だったよ」

目太郎「そうそう福禄寿ね。寿老人とキャラが被るんだよな」

のzの「そう被るのよ。…まぁそれはどうでも良いんだけどさ。あと、水兵は船酔いをするのにタクシーの運転手はなんで車酔いしないのかとか、首をつるのと身投げと鉄道自殺ではどれが一番苦しむかとか」

目太郎「そりゃイヤだな」

のzの「セックスの最中にする話じゃないよな」

目太郎「うん。なんでその嫁さんはセックスの最中にそんな話ばっかりするのさ?」

のzの「それはな、つまりはこうだ。その嫁さんは独身時代に水商売をしてたんだけど、そこの店のマダムにこう言われたらしい。『セックスの最中には気をそらして何かほかのことを考えるんだ。そうしないと身体が続かないよ』とね。だからそれが性分になっちゃったんだね」

目太郎「ふ~ん…なるほどね」

のzの「ところでこの章の見出しが何ていうかわかるか?」

目太郎「いや、わからん」

のzの「『箱入り女房』って言うんだよ」

目太郎「ん?…嫁さんは水商売やってたんだよな?」

のzの「そう。バーかなんか飲み屋でな」

目太郎「そんでそこのマダムに『セックスの最中は気をほかのことに回さないと身が持たないよ』と忠告されてんだよな。そんでそれが習い性になってると」

のzの「そうだ」

目太郎「それは果たして『箱入り』と言えるのか?」

のzの「だからそこがこの話の肝なんだよ。旦那はこの嫁をうぶな女だと信じ込んでる」

目太郎「なるほど。なんか落語みたいな話だね」

のzの「だろ?この話は俺気に入ってんのよ」

目太郎「まぁでも映像化は無理かもだな」

のzの「そうだね。ところで映像化といえば、黒澤版やクドカン版以外にも映像化されてるんだよ」

目太郎「へぇ〜そうなのか」

のzの「1963年にNET(現TV朝日)で『たんばさん』というタイトルで、また同年にフジテレビで『季節のない街』というタイトルでドラマ化されている。両方とも1話限りらしいけどね(山本周五郎作品を原作とした1963年TVドラマのページ)

目太郎「たんばさんっていうのはクドカン版にも出てた、相談役みたいなお爺さんだよね」

のzの「そう。原作にも黒澤版にも出て来る、この街の住民達の相談役みたいな人で、さっきの俺が好きな『箱入り女房』のときの聞き役でもある」

目太郎「ある意味この話の最重要人物だね」

のzの「作者にとってはストーリーを進めて行く上での牽引役でもあるな。彼を聞き役とすることでその住民の背景が浮き彫りになるわけだから」

目太郎「なるほど」

のzの「どういったドラマなのかわからないがたぶんこのたんばさんにスポットを当てた内容ではあるんだろうね。因みに役者は森繁久彌だ」

目太郎「いかにもな配役だね。クドカン版ではベンガルが演ってたね」

のzの「そう。なかなか良かった。『どですかでん』では渡辺篤という人だね」

目太郎「建もの探訪の?」

のzの「違うよ。あれは渡辺篤だ。年齢がかなり違うだろうが」

目太郎「そうか。いや、でも今の人達からみたらどっちも古いからな」

のzの「渡辺篤っていう人は明治生まれで関東大震災前から演ってる人だから『どですかでん(1970)』の頃はもうかなりのベテランだね。浅草オペラ出身だからある意味渥美清とかビートたけしの大先輩にあたるんじゃないかな?(渡辺篤最終更新 2023年5月8日 (月) 07:13 )

目太郎「ふうん」

のzの「この役の解釈が黒澤版とクドカン版ではちょっと違う印象なんだよな」

目太郎「そうなのか?」

のzの「黒澤版はある意味頼りになる相談役で、トラブルシューター的な面が前面に出てた感じがしたよ」

目太郎「そうなのか。クドカン版では頼りになるにはなるけどちょっとトボけた感じがしたよな」

のzの「そうだね。黒澤版でもトボけた感じは出てはいるんだけど、もっとこう意識的な感じがしたよな」

目太郎「クドカン版の方はわかっている様なわかっていない様なもっとフワッとした印象だよな」

のzの「そう。なんだかよくわかんないんだけど問題が解決してるみたいなね」

目太郎「一番わかり易いのは自殺幇助未遂するところだな」

のzの「うん。あそこが一番わかり易いよね。原作や黒澤版ではわかってて無毒な薬を渡すんだよ」

目太郎「へぇ〜そうなのか。クドカン版ではトリカブトと称してヒヤシンスを飲ますよな。それもわかってるのかわかってないのかハッキリとしない」

のzの「最後の最後に認知症が始まってたことも明らかにされるしな」

目太郎「そうそう。ある意味そこが良いよな」

のzの「うん。いかにも人生経験豊富な頼りになるキャラみたいな感じがしなくて良いのよ。そういった意味ではベンガルで正解だよな」

目太郎「そうだね」

のzの「このヒヤシンスを飲ますってところがまた上手いんだよな」

目太郎「どうして?」

のzの「何故ならヒヤシンスって実は有毒なんだよ」

目太郎「そうなのか?」

のzの「そうなんだよ。俺も知らんかったけどな。もちろんトリカブトみたいな猛毒じゃ無いんだけど、あるにはある。人によっては嘔吐下痢などを引き起こすらしい」

目太郎「それはまたなんとも」

のzの「そう。本当に自殺を思いとどまらせるつもりで諭すなら完全に無毒の物を飲ますものだろ?黒澤版や原作みたいに。ところがクドカン版ではヒヤシンスを飲ますってのがなんとも微妙だよな」

目太郎「そうだよな。本気でトリカブトとヒヤシンスを間違えた可能性も捨てきれない」

のzの「捨てきれない。だけどそこがまた良いよなって思ってさ」

目太郎「うん」

のzの「人間さぁ、そう何もかも思った通り物事進められるものじゃないんだよ。だから自殺を思いとどまらせる為に意識して無毒な薬を飲ますとか、そんな英雄的行動なんて咄嗟には出来ないもんだよ」

目太郎「そうだね」

のzの「なんとか自殺を思いとどまらせようとしてヒヤシンスを飲ますなんてなかなか思い至らないよ?」

目太郎「そうだよな。思いとどまらせるつもりならわざわざヒヤシンスってならないよな」

のzの「そう。もしかしたら有毒かもしれないわけだしね。」

目太郎「実際有毒なわけだしね。トリカブトほどじゃ無いにしてもさ」

のzの「そう。だから本気で自殺幇助しようとした可能性も捨て切れないわけでさ」

目太郎「そうなるよね」

のzの「ただたんにボケてて、トリカブトとヒヤシンスを取り違えたことになる」

目太郎「うん」

のzの「そこで最後に認知症を発症させてたってことがわかると『工エエェェ(´д`)ェェエエ工』ってなるわけよ」

目太郎「なるよね。なんだたんにボケてたのかと」

のzの「現実にも意外とそういうこと多いのかも知れない」

目太郎「かも知れないね。何となく周りは意味ありげに考えちゃうから」

のzの「あの人は毎日家の前の石を拾っているけど何か意味があるのか?とかこっちは色々考えるんだけど」

目太郎「そう、何か色々考えちゃってね。『きっと人が転んだ時に怪我をしないように拾ってるんだよ』とか」

のzの「『偉い人だよあの人は』とか近所で噂したりしてね」

目太郎「そうそう」

のzの「たんにボケてて小銭だと思って拾ってただけだったとかね」

目太郎「面白いよね」

のzの「そういうね。きちんと着地しないところが面白いよね」

目太郎「そうだね」

のzの「あとね。これだけは言っとかないといけないんだけど」

目太郎「うん」

のzの「舞台となる街なんだけどね」

目太郎「うん仮設住宅な」

のzの「そうそう。災害時の仮設住宅なんだよね」

目太郎「だからいつか出ていかなきゃならない」

のzの「ずーっと住み続けて良いわけじゃない」

目太郎「そうね」

のzの「だけど皆行き場がなくてずーっと住み続けてるというね」

目太郎「そうなんだよね」

のzの「そこがなかなか考えたなと思ってね」

目太郎「うん」

のzの「この設定はさ、原作にも黒澤版にも無いものだからね」

目太郎「そうなのか。原作や黒澤版は場所や時代を…」

のzの「特定して無いね。それがある意味原作の意図するものの1つだからね」

目太郎「そうなのか?」

のzの「そう、あとがきで山本周五郎は、この街は過去の話であるけれど、今もどこか身近に存在している普遍的な話であると締めくくっているんだよ」

目太郎「だけど敢えてクドカンは時代と場所を少しだけ限定した」

のzの「そうだね。ドラマの中では言及されていないけど、311の後の話であることと、恐らくは東北の街なのかなという…」

目太郎「でも被災者の仮設住宅っていうのは全国に造られたんだよね。だから東北とは限らないんじゃないかと思う」

のzの「その可能性はあるか。じゃあ断定は出来ないかな…いや、でも主人公の父親の大漁旗が出て来たからたぶん東北の何処かで良いと思う」

目太郎「そうかあれがあるってことはやっぱ東北か」

のzの「うん。そう思う。それでな、原作と黒澤版では、あの貧民街は終わらないんだよ」

目太郎「なるほど、クドカン版は終わるもんな」

のzの「そう。終わるんだよ。仮設住宅だからね。主人公はあそこが好きだと言っていたけど終わるんだよ。そこが大きな違いだよね」

目太郎「昔の貧民街は残っていたのに」

のzの「現代の貧民街は消えてしまうんだよ。存在が許されない」

目太郎「あの吹き溜まりの治外法権みたいな暮らしは許されないのか」

のzの「ある種の特権だからね。恐らく現代では許されないんだと思う。生活困窮者という枠が用意されているから、そこに当て嵌められる」

目太郎「社会福祉士だか民生委員だかみたいな人がたんばさんとかに声掛けてたね」

のzの「そう、これまで独りで生活出来てたのにね。まあ認知症があったみたいだから仕方ないんだけれど」

目太郎「それは良いことなのか?」

のzの「良いことだよ。困窮者や介護の必要な人を保護するんだから。良いことだけど…」

目太郎「良いことだけど…」

のzの「貧困が見えなくなる。見え難くなるんじゃないかと」

目太郎「行政としては見せたくないのかも知れない。まあ確かに貧困問題を放っておくわけにはいけないけどさ」

のzの「映画『万引き家族』にもそういう問題提起があったと思うけどね」

目太郎「自然発生的に出来た疑似家族の話だよね。あれも最後に行政が介入して壊される」

のzの「そう、仮設住宅にも自然発生的に出来た疑似的なユルい繋がりがある」

目太郎「あっても良いかと思うけどね」

のzの「主人公半助もそう思ってたね…そういえば半助は『どですかでん』では出て来ないんだよな」

目太郎「そうなの?」

のzの「猫のとらも出て来ない。原作では両方とも出て来るんだけどね」

目太郎「そうなんだ。あのふてぶてしい猫は好きだけどね」

のzの「うん俺も好き」

目太郎「半助は原作ではどんななんだ?」

のzの「すぐいなくなっちゃうんだよ。とらと一緒に。章の最後で、博奕のイカサマ賽を造ってた職人だったことがわかる。それでたんばさんによるとその筋の人間に連れて行かれる」

目太郎「その筋?」

のzの「博奕関連といえばヤクザだろうね」

目太郎「殺されるのか?」

のzの「わからない。もしかしたらイカサマ賽造りの腕を買われて重宝されているのかも知れないし、逆に怒りを買ってれば詰め腹を切らされてるのかも知れない。殺されないまでも指を詰められるとか」

目太郎「クドカン版とは大きく違うな」

のzの「違うね。原作では主人公なんかいないからね」

目太郎「とらはどうなるんだ?」

のzの「とらもわからない。原作ではいなくなってしまう」

目太郎「切ないな」

 

ということで雑談はいつまでも続いたが今日はここまで。