のzの…3.11

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今日は3月11日。

私にとっては人生で経験した最大の災害であった東日本大震災

まあ関東住みの私なんか東北の人たちからみたらぬるま湯に浸かっているようなもんだとおもうでしょうけど、それでも自分がリアルタイムで経験した災害では最大だし、何より福島第一原発の事故が進行していくあの緊迫感と重苦しい恐怖は決して忘れない。

私が二十歳のときチェルノブイリ原発事故が起きた。

そのときの私は広瀬隆という作家の『危険な話』という本を買って読み、

原発事故の恐ろしさを知った。

そして日本でも確実に起こるであろうことも確信した。

しかし実際に原発の事故が起きてその事故に巻き込まれるとはどういうことかと。

そのリアリティーというか現実感は全然わからなかった。

チェルノブイリ事故で移住させられた人たちの気持ちや苦労など

わかりようがない。

でも今回事故がこの日本起きて

自分達が当事者になって

原発事故の本質が見えた気がした。

福島事故が起きる前の私は

とにかく放射能が怖かった。

放射能が体を蝕んでいく恐怖があった。

でも実際に起きてみて感じた恐怖はそうではなかった。

もちろん放射能は怖い。

でも長期間に渡って低線量を浴びたり

一度にたくさん浴びたりしなければ大丈夫だということも知った。

しかし同時に統計上ガンと白血病の増加は必ずある。

ただしリスクは高まるわけではあるが

放射線の感受性というのは個人差があって

誰にでも出るわけではない。

だけどもしかしたら自分がガンや白血病になるかもしれない。

それはわからない。

ただはっきりしていることは

福島周辺の人や関東などのその他汚染された地域の人たちは

その不安を抱えながら生きていかねばならないってこと。

これを単に風評被害だなどと言って否定することは簡単だ。

でもじゃあ

全く汚染されてないところと

汚染されているところ

どっちに住みますか?

と問われれば

誰だって汚染されてないところを選ぶわけだ。

例え危険は無いと言われたって

わざわざ汚染されたところを選ぶ人は稀有だ。

それを風評被害で片付けますか?ってのよ。

これは汚染されてないところを選ぶのはもうしょうがないよね。

「反原発の連中が大したことないのに騒ぐからだ!」

原発推進の人たちは言うけれど

違うと思うね。

これはもう日本人に刷り込まれた「穢れ」と同じで

放射能」には誰だって近づきたくはないのよ。

どんなに安全だといわれようが

それはもう無理なのよ。

それはもう風評被害ではなく

実害なのよ。

どんなに学者が安全ですと言ったって

豊洲ブランドの魚は

築地ブランドより圧倒的にイメージ悪いのよ。

それと同じでね。

最早無理。

これは実害なんだよ。放射能の。

実際に症状が出ていなくても

もうそういうイメージを払拭することは無理。

実害と一緒なの。

それが日本で原発事故が起きて

肌で感じてわかったことでした。

昔、福島事故前にチェルノブイリの様な事故が日本で起きたらと

頭の中でシュミレーションしていたこととは

まるっきり違っていました。

本当に事故が起きてしまって悲しい。

とても残念で悔しい。

自分は原発の怖さを福島事故前から知っていただけに

止められなくて本当に悔しい。

そんなことを今日一日だけじゃなく

あの事故の年からずっと考え続けています。

ではではまたまた

のzのでした。