のzのデビッドボウイ論

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ええデビッドボウイが亡くなってからどれくらい経ったんでしたっけ?

去年の1月だからもう丸一年以上経っているわけですね。

さてさて世間ではデビッドボウイという人をどういう風に捉えているのか

私は常々考えていたんですよ。

グラムロックの創始者、ビジュアル系の元祖、化粧、バイセクシャル

ステージへの演劇性の導入、スタジアムロック、異邦人、異星人、etc…

まあもちろんどれも間違いじゃないです。どれもホントのことだけれどでも、

それらはデビッドボウイの一側面でしかないわけです。

全体像を表していない。

いったいデビッドボウイという人はロック史において何を”発明”したのか?

それはあれです。

ロックスターを『』に入れたことです。

デビュー直後、

ジギースターダストという架空の『ロックスター』を演じたことは

とても有名ですよね?

今見てもとても奇抜なファッションでしたよね?

メイクも変だし、ツナギの変な服着てた。

あれは何だったんでしょうか?

あれはロックスターをカリカチュア(誇張)した像なんですよ。

デビッドボウイ以外にも当時ロックスターやカリスマという人たちは

いっぱいいました。

まあ例えばデビッドボウイ自身が影響を受けたと言っている

ドアーズのジム・モリソンを始め、

ジミ・ヘンドリックスミック・ジャガー

ジョン・レノンだってそうだしプレスリーだってそうでしょう。

デビッドボウイはこれらの人達と何が違うのでしょうか?

それはロックスターとは何か?ということを客観的に分析して

それを自分のパーソナルと一旦切り離して演じたことなんです。

言うなればデビッドボウイ以前のスターやカリスマは「無意識」

だったんです。

ではなんで意識して演じる必要があるのか?

それはロックスターというのは死に至る病だからです。

そもそも観客は破滅の美学をロックスターに追い求めている。

そりゃそうでしょう。

ロックスターが品行方正のサラリーマンみたいだったら嫌でしょう?

ステージ上で

叫んで踊って暴れて脱いで変なことをする人間を

皆観たいわけです。

そして観客やファンは残酷なことに

ロックスターの普段の生活にも

それらの延長上にあることを求めます。

ロックスターの奇行ぶりはよく伝説として残っていますよね?

やれホテルの窓からテレビを投げ落としただの

やれ打ち上げパーティー後は死屍累々(比喩)だの

でもそれを実生活でやり続けたら

色々と問題出てきますよね?

特にフリードラッグ、フリーセックスに絡むと。

実際死者もでているわけですし。

結局、観客やロックファンの幻想に振り回されて

実生活が無茶苦茶になっちゃうわけです。

だからデビッドボウイは

実生活と切り離す為に

ジギースターダストという

もう一人の自分を作ったわけです。

だからとても奇妙で奇抜な恰好をしていたわけです。

それがボウイの発明です。

観客やロックファンの幻想に振り回されちゃいけない。

振り回されたら自分を見失って

いつしか破滅する。

それを回避しつつ同時に

観客を魅了し続けるにはどうしたらいいか?

常に別の自分を作って演じて

そして逆にロックファンやマスコミを振り回してやればいいわけです。

そうすれば常に注目されていながら

本当の自分の生活は維持できる。

それがボウイの発明。

もちろん常に注目され続ける為に新しいことを

開発し続けるのは至難の業です。

理解できたとしたって

容易にできることではない。

それをボウイは少なくとも20年から30年は続けたわけですから

グレートです。

ではではまたまた

のzのでした。